埼玉県飯能市の禅寺 平壽山 廣渡寺様

  • 2015.04.14 Tuesday
  • 18:20
さて、昨日の夕方、埼玉県飯能市の曹洞宗寺院 「平壽山 廣渡寺」様へ赴いておりました。

そう、私がここ1ヶ月間悩み苦しみ楽しんで設計していたお寺の中庭は廣渡寺さんでした。

そんなお寺様には2つのお庭を設計いたしました。そして昨日無事にそのうちの一つをお気に召してくださり、受注させていただけました。

くぁ〜嬉しい!!本当に嬉しい!この1ヶ月、本当にどういう庭にすれば喜んでくださるか、方丈様、奥さま、若方丈様の想像を超える設計が出来るかを考えてのプレゼンでしたので、それが気に入ってくださり、受注までいけたのは嬉しい!

勿論、毎回毎回お客様に作庭依頼をされるたびに同じように感じることなのですが、やっぱり素直に何度でも嬉しい瞬間です!

そんな今日のブログでは、実際には施工はしない方の設計を公開します。

実際に施工するお庭につきましては、これからのブログを楽しみにしていてください。

それでは今回採用はされませんでしたが、魂を込めて描いた設計

施無畏 掌宝珠庭(せむい しょうほうじゅてい)

平面図-1 (640x417).jpg

平面図です。

DSCF0319 (640x480).jpg

イメージ図です。

以下お寺様に提出した設計意図を公開します。私は必ず庭を設計する時に”庭園銘”と”ストーリー”をつけて考えます。


 
初めに「平壽祥雲地蔵庭」を書き上げた後にもう一つの中庭案を書くにあたり、やはりこの場所にある巨石を主役とした庭を、そしてより慈悲のある庭を作ろうと考えまして、仏様の掌をモチーフにした庭園を設計いたしました。

○「施無畏」とは、財施・法施・施無畏の3つのお布施の一つであり、お金が無くても、知識が無くても、誰もが出来る布施であり何かを恐れている人に対して「恐れなくても良いのだよ」っと安堵を与える布施を意味します。
また仏像の掌を前にして見せる印も「無畏施印」と云います。

庭の説明

巨石を中心とした奥側の島は、如意宝珠を持つ地蔵菩薩の掌の形をしています。
石積みは地蔵菩薩の衆生を救う慈悲の指を表現する為に曲線で積み上げます(親指の部分)
手前の島はお釈迦様が本堂側を向いて涅槃をしてる姿をしています。(本堂に対してお釈迦様を正面にする為にです。)平面なので左頭涅槃になりませんが。
また2つの島を別の見方をすると「来迎印」や「無畏施印」の掌の形に見えるようにしています。
また御影石と古瓦で錫杖を作り、その周りの砂紋が「六道」(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を表し、地蔵菩薩が錫杖を持って全ての助けを求める者に救済をくまなく巡業される様子を表現しています。
この庭に訪れた方全ての人々が何事にも恐れを抱くことなく、仏様の掌の加護の元に集えるようにと思い設計いたしました。

以上

こんなコンセプトで設計いたしました。庭師によって設計へのプロセス・アプローチは様々だと思います。

私の考えが素晴らしいなんて絶対に言いません。そして、私は自分の設計を押し売りしたりはしません。

お寺の設計をするにあたっては仮に「仏教に関連しなくてもいいし、自由でいいよっ」って住職様に言われたとしても大なり小なり必ず私はこのお寺の本尊様と仏様に対して造ります。そして御住職様とそのご家族、そして檀家様、そして地域の皆様のことを第一として考えて設計します。決してただ単に”自分が作ってみたいもの”は造りません。

私の中では庭師は芸術家ではないと捉えています。(それが良い悪いということではありません。)お客様の要望や意向、予算による制約がある以上は当たり前ですが、”お施主様の満足のいくもの”を設計しなくてはいけません。そして何よりもお客様の”想像を超えるもの”を提案する。奇をてらうのではなく、派手さや地味さではなく、意向に添いながらもプロとしての技量と技術と経験を基にした提案をしていくことが私たち”プロ”なのではないでしょうか?
そう、私たちの職業の”プロ同士から見た素晴らしい庭”=イコール”お施主様の喜ばれる庭”では無いのだと思うのです。

プロなら”やりたいこと”も”やってみたいこと”も当然あると思います。しかし、”自分自身が確立されたブランドとしての価値が付いている庭師”で作庭依頼が来たのであれば、きっとそのお客様はその人が作るものに満足をしてくださるのかもしれません。そうでない以上は、やはりお客様の為だけに作るのがプロというものなのかなぁと感じています。
自分が造りたいものや、ましてやったこと無いのにやってみようと思うことは、何かのガーデンコンテストで試せばいいと思います。それはそれでプロをプロの審査員と一般の方々がお施主という立場ではなく公平に評価してくださるのですから。

私がお寺の庭を設計するにあたっては、なるべくなら宗教上の”教え”などを盛り込むようにしています。くどくない程度に抑えるのも私の中で常に課題なのですが。

お寺はやはり”信仰心”(今の社会では少なくなっているようです)であるわけですし、そこにある空間である以上はある程度はそんな考えも必要なのかなって考えています。

そして、庭という空間を通して葬儀だけではない寺院さんの存在に(意外と葬儀=お寺って思われていませんか?)そっと僅かばかりでも寄り添えないかなって思っています。

葬儀や法事で来られた方にも、庭を見たときに”何か”を感じていただけたら嬉しいと思う。

”そこに意識が向く空間があるよ”って感じて欲しいのです。愛の反対語は”無関心”と言ったりする場合もあるそうですが、正にそう思います。”無関心”であり続けない空間を私は作って行きたいのです。

その中で日本人が心地良く感じる”文化”や”心”を庭を通して”感心が向く”ように表現したい。
お客様のご意向に寄り添いながら、プロ同士の目線など気にせずに、洋風・和風の庭などという見えない垣根など作らずに。

基本は大事ですが、捉われのある心はいけないものです。

近々、この廣渡寺さんにて採用された設計。

「平壽祥雲 地蔵庭」(へいじゅ しょううん じぞうてい)が始まります。

楽しみにしていてください。捉われのない設計になっているお庭を作ります。 合掌

庭師:霧島宏海
コメント
いいこといいますね。移り行く美ですか。
  • GUITENN
  • 2019/10/23 1:45 PM
コメントありがとうございました。

私は中国製品がダメとはいいません。

日本製が一番ともいいません。

出来ればその土地に合う、"場"のものを使えたらなと思うだけです。

庭は移り行くことも、時に美しくなるときがあります。それは作者の想像と反したり。だから庭は面白いですよね。

だから私は原型とかではなく、いつまでもそこに住まう人に愛されていく庭を作れたらと、日々考えております。

形を維持"しなければならない"庭はいずれはお客様の負担に繋がります。

きっとそんなことはお分かりでのコメントと存じます。失礼致しました。
  • 霧島
  • 2019/10/20 10:05 PM
奥様が中国語卒ということを知り、思い出したのですが、中国庭製品(石、木、金属)もいいものがありますよ。商社の仕事で北京に駐在していました時に、各地の庭に使えそうなものを見て回りました。ただし、大きいものが多いが、沢山ありました。狛犬系は腐るぐらいありますね。
  • GUITENN
  • 2019/10/17 5:43 PM
お寺の構想には同感です。芸術家ではない、お客のよろこぶもの。私は、友達の庭をやるにあたり、いつまでも原型が保てる庭、外溝であること、安全に使いやすい空間に心がけています。たとえば、水栓1つにしても、普段使う位置とし、埋め込みはぜず、かならず、柱タイプで手洗い、ホース用の2つは用意します。夜は夜景のこともありますが、安全、安心で光らせます。意味のない柵等はやめ、その経費をほかの造作に使います。排水も嵐を想定しています。
  • GUITENN
  • 2019/10/17 5:27 PM
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