禅寺で仕事を通しての自己の捉え方

  • 2013.11.28 Thursday
  • 19:34
 さて、ここ最近寺院様での仕事が増えてきました。庭師としてありがたいことです。

その中でもやはり、”禅寺”での仕事が多い。禅宗と言っても大きく分けると3つに別れる。

臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の3つ。でも厳密に言うと臨済宗と黄檗宗は同じ系統なので(元々は臨在正宗と称していましたし)日本には曹洞宗と臨済宗が禅宗ということになる。黄檗宗は江戸時代の1654年に今の中国から伝わった比較的新しい宗門でもある。

思えば私自身も初めて坐禅や写経をしたのは6歳頃だった。昔から禅と触れ合う機会が多く、坐禅を全くしなかった1年は無かったと記憶している。

夏休みとなれば従兄弟たちと秩父の奥山にある禅寺に遊びに行き、少なくとも3日くらい宿泊し、禅僧と同じように”起きて半畳、寝て一畳”という柏布団で寝起きし、持鉢(じはつ)という僧侶の使う食器を使っての寝泊りだった。この器は臨済宗では持鉢といい、黄檗宗では自鉢、曹洞宗では応量器(おうりょうき)と禅宗の宗派によって呼び方も違います。この宗派による違いは他にも様々あります。坐禅時に叩く棒も曹洞宗では警策(きょうさく)臨済宗では同じ字で(けいさく)といいます。話が逸れましたね(汗)

その頃から朝5時半に起床し、庫裏や廊下などを雑巾掛けしそれが終われば書院に行き、方丈さん(住職さんの事を”ほうじょう”さんと呼んだりします)が袈裟を着て入室し、坐禅が始まる。

凛とした書院で朝の静寂の中、ただ静かに坐る・・・・私には普通の事だった。

なんの疑いも無く、ここに来ればテレビも無く、無駄な物が全く無くそれでも楽しかった。

まぁ、そのお寺でたまに見かけていたお爺ちゃん僧侶が京都大徳寺の前館長であられた福富雪底老子さんなどとは露ほどにも思いませんでしたが(大汗)その事実を知ったのは僅か10年前でした。いやー、子供って怖い(笑)

抹茶を飲む時に特に「お前ら絶対に落とすんじゃない!」と言われていたのも頷ける・・・。

だって、公表されていない千家の茶碗や小堀遠州の茶碗なんだもの!

そんな茶碗を手に従兄弟たちと「かんぱーい!!」って、カチャンっと茶碗を当てあっていたなどと・・・・・・子供は世界の宝物!!・・・・・いいよねっ?

今現在なら、決して出来ない愚行ですなぁ!!あはははは。

おっと話がずれてしまいましたね。

そんな身近な存在だった禅宗が、十数年の時を経て自らの職業と深く関わってくるとは・・・正に仏縁ということでしょうか。

ここ数日間、今年から出入をさせて頂くことになった曹洞宗の禅寺:廣渡寺さんでの手入れ。

曹洞宗での坐禅も5年前から継続的に続けている自分。

禅を学べば学ぶほどに、迷いの底に落ちる・・・でも、最近は心地良い感じで迷いの中に身を置ける様になった。

今回の3日間は本当にハードな仕事だった。恐ろしく早く起床し、日の出と共に作業を開始、何も考えれないほどに無我夢中にマツの手入れをしていた。

そんな作業をしていて2日目にふと何かを感じた。

自分はマツの手入れをしていた、そう手入れをしているのは私で手入れをされているのはマツだった・・・・・。でも、ある時からマツが私を手入れしてくれている感覚を覚える。

私を無我夢中にさせてくれて、声なき樹木の声に耳を傾け、私とマツが”以心伝心”する。

私はマツになり、マツは私になる。私もマツも共に生きていて、”あるがままにそこに存在”し何者でもなく、ただ存在しあえる。それだけ・・・でもお互いがお互いを心地良く迎えている。マツが厳しく接してくる時もあれば、私がマツに厳しく接するときもある・・・でも時は流れる・・・・あるがままに、そのままに。

私の様な凡夫(僧侶ではない普通の者)では禅の何たるかは到底理解できないのだが、学び継続し、意識して日々を過ごしていると、いままで気にもならなかったことや現象に”気づき”を体感することが増えた。

そして、自己を見つめることが増える。すると今まで当たり前だった全ての事が、とても大切で貴重であることに気づかされる。

そう、私は仏教徒ではない。でも禅を通じて学んだことは多い・・。

禅寺に出入をする以上はある程度の基礎知識は必要だと思う。禅宗に限らず私は自分が出入する場所ではそれを率先する。

なぜか?至極簡単なこと。知らないよりも知っていたほうが良いから。それだけです。

真言宗寺院に出入するときには真言宗を学び、天台宗でお庭の設計があれば天台宗を学び、神社の仕事では日本書記や古事記を読み、神道を学ぶ。そしてそれが神明系なのか出雲系なのかそうでないのか、土着神を祭る場所なのかなど、出来るだけ”知る”ことを大切にしてきた。

今回お伺いした廣渡寺さんでは、いつもの手入れとは違った心境で”自己と向き合えた”

そして、ほんの僅かではあるけれど”捉われの無い心”の断片を体感できた。

庭師として、人として、日本人としてまた少し貴重な経験をさせていただけた。

一重に感謝です。


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