坐禅の後は鎌倉へ!!

  • 2014.05.23 Friday
  • 22:06
 1時間ほどの坐禅を終えて、お寺に挨拶をし天嶽院を去る私達。

天嶽院さんから300mも離れずにあるのが同じ曹洞宗寺院の”慈眼寺”さんです。

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私が昨年12月に池庭の改修工事をしたお寺様です。

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愛弟子:唯人はまだ入社前だったこともあり、慈眼寺さんを見たことがなかったので一緒にうかがいました。

和尚様も気さくに唯人にお話をしてくださいまして、唯人もピリリッと背筋が伸びたんじゃないかな??

そして、急遽決まった鎌倉散策!!

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日本で一番最初の禅の専門道場、それが鎌倉五山の第一位をされた建長寺です。

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境内は大禅刹特有の雰囲気で満ちています。

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禅宗伽藍の特徴である山門から一直線に伽藍が配置される建物群。

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いっちばん奥にある半増坊の展望台までは初めて行きました。

眼下には小さく建長寺の伽藍が見え、更に奥には鎌倉の海が眺望できました!!

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その後は方丈庭園でゆっくりと時を過し。

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唯人は私に憧れたのか、同じようなポーズでパシャリ(笑)

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その後は竹庭で有名な報国寺さんへ。

竹の清涼感と何んともいえない香り・・・・。

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清涼感のある竹林を眺めながらの一服・・・・・・・・なんとも贅沢な時間。

仕事は休みでも、俺は時間が許す限り「心の求める空間」を見に行こうと思う。

追伸

この時午後4時。鎌倉を4時過ぎに出発し、寒川の自宅に着いたのが5時。

5時15分には再び家を出て横浜駅まで向かった!!(自転車と電車で)

そう、この日は日本庭園協会 神奈川県支部の研修会でした。

本当に忙しい一日でした。

でも充実!!

弟子を連れ、三渓園へ

  • 2014.05.23 Friday
  • 21:34
 先日、本牧での仕事も午前中で終わったので、この現場から200mほどで近代での三大数寄者の一人、原富太郎(原 三渓)の造営した”横浜 三渓園”へ弟子たちを連れて行きました。

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原三渓の自邸

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私はここ三渓園は10回目くらい。東の桂離宮と称される建築群も魅力のひとつ。

祐樹は初めてだそうで、唯人は2回目。

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庭園の見方や、日本建築の見方。今と昔の庭の移り変わり、庭と建物の距離感。

お寺の時代ごとの造りの違いや、茶室・茶庭の事などなど、駆け出しの庭師にも、私達中堅庭師にもとても勉強になる場所。

弟子達にはそれらを踏まえての、即席講座。

たまには厳しい私です。

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でも唯人はいつでも少年のこころを忘れない(笑)出世観音にあやかりたくて仕方がないみたい。

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祐樹は唯人の手の上に乗せてもらって楽ちん!!(爆笑)

33歳ちっちゃいオッChan。

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絶妙な構図の写真!!さすが親方の私です!!あははっ!!

祐樹・・・・ちっちゃくなったなぁ・・・。

思いっきり真面目に庭を語り、思いっきり楽しく時間を過す!!

それが大事!!硬くなりすぎず!!柔らかく、でも厳しく。そして楽しく。


床柱材を作る。

  • 2014.05.14 Wednesday
  • 21:00
 さて、ゴールデンウィーク中に「床の間改造計画」なるものを書きましたが、先週なんだか良い柱となるものを発見しました。

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霊園管理をしていたのですが、そこの敷地内に雑木の森になっている場所があります。

その中でも不必要なものや枯れてしまって危険があるものは弊社で取り払っているのですが。

その中の1つに太い藤弦に絡まってしまったらしい杉を発見。

前から気になっていましたが、今回は伐採することに。

でも、この曲がりくねった樹木を捨てるなんて勿体無いと直ぐに頭を切り替える!!

こんなに曲がりながらも天を目指して生きた樹木は里に於いては珍しい。

きっと皮をむけば素晴らしいものになると確信!!

そして皮を向いた姿が写真です!!

くはぁ〜想像以上に「いい雰囲気」

自宅の「床の間」絶対に使用します!!!

日頃から何気ないことにもアンテナを張って来たからこその出逢いですね!!

あと少し!

  • 2014.02.28 Friday
  • 23:09


今日まで約1ヶ月間城積み工事をしてきた。
完成まで後6石位。天端の石はやはり苦戦中。

そして、庭師仲間に感謝。

一旦、俺も日中は現場を離れます。

父親の会長にバトンタッチだ。

今日は相田造園の白井さんが苦労して、算木積みの仕上げをしてくれた。

沢山苦しい思いもしただろうし、沢山学べたことも有ったと思う。

今夜8時過ぎまで掛かって1石を仕上げた。

妥協することなく、親方衆がもう、良いよと言うなかにでも、白井さんが納得できるまで何度も算木積みをやり直した。

とても大切な心。その姿勢がなんとも美しい。心を投影し仕上げる。

ものつくりの本質だ。

きっと、想い入れのある仕事になったと思う。

それを見守っていた親方の相田さんも間違いなく素晴らしい庭師さん。

後輩の成長は、他社の会社の人であっても嬉しいことだ。

残心という、見えない想いを自分達のものつくりに据え作品を造り上げる。だからこそ、何かがソコに宿ると俺は考える。

俺自身も、またこの現場で沢山学んだ。

奥が深い庭師の世界。

俺はそんな今日も正に日々是好日d=(^o^)=b

自らの「道」は自ら切り開くこと

  • 2013.12.09 Monday
  • 18:55
 先日、地元の竹材店で自分にとっては驚くことがあった。

何度か作庭中に材料を取りに行っていたのだが、店の親父さんが長竹をパカパカと割っていた。

竹材店の材料屋さんが何故に竹を割っているのかが不思議でしょうがなかった。

親父さんに伺うと、「いやー、造園屋さんに建仁寺垣の押し縁を割ってあげているんだよ!!」

って・・・・当然のような返事だった!!俺は驚いたよ!おいおい何時から造園屋じゃなくて、竹屋が竹を割ってやるようなことになったんだ??

詳しく聞くとこうだ・・・。

「最近特に多くなったね!竹を長く割ることが出来ないから、竹屋さんに割ってもらった方が手間も掛からないし、竹を磨くこともないし失敗しない」だって・・・・・・・。

にわかには信じられない現実だ!!俺の庭師人生において、現場で使う竹を自ら割らず(割れず?)人任せにして施工するなんて!!

しかもこれだけじゃないらしい・・・柱は機械で元末を揃えた丸太(上下の太さが揃っていて、水平器を当てれば簡単に建て込み出来る丸太)しか使う人は居ないし、竹穂はメーカーで編みこまれたものを購入して施工・・・・・それならまだましで、出来合いの垣根セットを買って施工場所に”ポンッ”と建てて完成だそうだ。現場に合わせるにはわざわざ特注で出来合いを作らせるらしい・・・・・・・。

プラスチックの垣根といったいどこが違うのか?そして、その人達は”もの造り”を生業にする職人なのか?

職人としての矜持は何処へ消えたのだろう。

建仁寺垣の押し縁すら割れないなら、設計に入れるべきじゃないし、第一そんな割り竹をトラックに竹屋さんで積んで走って、恥ずかしくないのか?

俺なら絶対にしない!!

俺は竹を現場で割るし、竹を”知る”ことから始めたくちだ。

修行時代、何度も何度も先代の親方に怒られ、手を何度も切って竹の性質を知り、竹の扱いや、難しさ、奥深さを学んだ。

芽割りや背割り、細割りなどの多くを修行期間で身につけた。

プロと名乗りお施主様からお金をいただくのなら、それに見合った技術を身につけてしかるべきだろう・・・・。

俺だってまだまだ未熟なヒヨコ程度だと思う。そう、一生かけて修行中だ!

それが、こんな”にわか造園業”が(本質を追わないで目先の作業性や利益に走る人達)現在のこの"道”に紛れ込んでいるのか・・・・・・・・・・。

俺は竹垣をお客様の家で施工するときには、”プロとしての仕事”が出来ていない場合は施工はしない。

竹穂垣を作りたかったら、講習会に参加し、そこから置き場で何度も自分なりにその垣根の本質の紐を解き、竹藪での竹の生え方を学び、竹穂の性質を知り材料と向き合い、トレーニングを重ねてから、お客様の元で施工するようにしている。

それが正しいなんて言わないけれど、ただプロとしてそれは当たり前だと思ってきた。

だから、あえてこんな自分は”こうしている”なんて声を上げて書き綴っては居なかったと思う。多少は書いてきたけれどね(笑)

それが、今回知ったこの”事件”に俺はこの職業の未来を危惧する。

そんなことしていたら、自分達の首を絞めることに繋がるぜ!?

建仁寺垣の竹子を竹薮から取り出して自ら割って作れますか?作れて当然なんです。

それが出来るからこそ、コストの面もあるし時間的なこともあるから、予め束になっている割り竹を使うのだ。立て子の矯正の”ねむり”に”ひらき”(ぶっこみ)をどんなときに使い、何処で使うのかキチンと判っていますか?何故に出の3枚が逆使いなのか?禁忌についても判っているかな?
全ては"本質”を知り、竹垣を作るということ。
竹屋さんで何もかも”製品”として用意してもらったものを、現場で”組み立てる”のでは、塩ビ製の竹垣と何の違いがあるのだろうか?

ものによっては塩ビの竹垣の方が値段も高いだろう。でも”腐らないから”という理由だけで、お客様の意向を聞いていませんか?

勿論俺も多々お客様から塩ビ製の竹垣を施工して欲しいと言われる・・・。

でも、結果として殆どのお客様が天然の竹垣を依頼しなおしてくださる。

俺は塩ビ製品が悪いとは言わない。でも目先の事に焦点を絞らないで居て欲しいと願う。施工業者もお客様もだ。

天然の竹垣は確かに腐る・・・いずれはね・・。でも塩ビ製の竹垣が”腐らないことの違和感”をもっているのです。

だったらプロとして、植木職人として全力でその腐らない塩ビ製の竹垣と戦わないと!!
7・8年で朽ちる竹垣を腐らないようにする努力をすればいいし、その為に頭をフル回転させ、そして大事なのが”その場所に果たして本当に竹垣が必要なのか??”です。
塩ビだろうが、そうじゃなかろうが、本当にそこに竹垣が必要なのかそこを大事にしたい。

俺は自分が設計した庭で竹垣が必要なら、それをちゃんとお施主様に説明する。そしてお客様の意見や意向を聞きながらも、お客様を教育していくのも私たちの役目の様に思う。

自分達の技術や心が形になるかもしれないのだから。

10年後 塩ビ製の竹垣は必ず腐らずにそこにあることでしょう。そう、施工したときが一番”綺麗”であり10年後には劣化して水垢が付いて、でもそこにあることでしょう。
そして、お客様もその景色に慣れ只の目隠しとしているかもしれません・・・。

庭師として、自然の竹垣を作って”綺麗で美しい”ものが10年後にお客様から「竹垣も大分と朽ちてきましたね。そして10年間の月日を感じます。青竹からの変化なども楽しませてくださいました。また作り変えていただけませんか?」って言って戴きたいと思いませんか?
10年経っても、竹垣を施工したそこに"感心”を持っていただけるようにしなきゃ!

人は移り変わるし、経済状況も変ることです。でもその時にあった予算で我らが出来ることはあるのです。そう信じたいし、俺はそうしてみせる。その為に日々この”道”に向き合っている。

製品で溢れかえるこの世の中、今のままでは職人は衰退していくことだろう。

製品から作品へ!これが俺達の道だと思う。

心を込め、想いを伝え、材料と向き合い、人と向き合い、この道と向き合う。

この世界で生きる仲間達へ・・・・生意気言ってすみません。

でも奥歯に力入れて気張っていこうよ!!

海外に日本の文化を発信するということ。

  • 2013.12.04 Wednesday
  • 19:20
 さて、私はこのブログ以外にもフェイスブックにてほぼ毎日自分の仕事について発信している。
フェイスブックでは海外向けに自分の仕事や日本の文化においてを重点を置いている。

ですからなるべく、英語とイタリア語を用いて、判りやすく、でも決して湾曲して伝わらないように気を遣っている。

今年の3月からフランス人の庭師に積極的にコミュニケーションをとっていたのですが、その日とのブログ上で私の記事がしばしば載っている。

そんな中、今回は私が今まで施工してきた竹垣について、写真を添えて記事を書いてくれているので紹介したい。そして、近々それはフランスにおいて出版され、私も日本の庭師として紹介されるらしい。嬉しいことだ。


上記のアドレスでその人のブログが読めます。興味がある人は是非見てみてください。写真は全て私が今まで施工した垣根の写真です。

その他にも今現在は、オランダ・カナダ・アメリカ・イタリア・ノルウェー・スペイン・ロシア・スイス・スウェーデン・オーストラリア・フランス・ポーランドなどの日本庭園に興味のある、もしくはそれを生業としているガーデナー、もしくは自邸に日本庭園を作っているフェイスブック上の友人達にほぼ毎日、日本庭園の技術や心、などをアドバイスしています。

フランスでは将来共に庭を作るプロジェクトもある。イタリアの友人は私の設計した庭が少しづつ作られている。

日本で"地力”を養い、日々精進するからこそ、外国に対しても庭師の矜持を発信できる。

日本の庭の魅力は海外でも十分に評価され、それを学びたいという人は多い。

その中でも本気で学びたいという人には私は自分の持ちえる全てを伝えている。

お金じゃない!自分の携わる文化をより多くの人に知っていただきたい、そしてそれがこんごの私たちの世界の”底上げ”に必ずや繋がり、若いつぎの世代に紡ぐことが出来ると私は信じているから。

日本を拠点に置き、日本を愛しているからこそ、海外に於いてもしっかりと自分の仕事をアピールできる。

海外に憧れを持つだけでなく、国内に居ながらに外国に対して発信できることは多々あるはずだ!!

そして、俺はいつか海外で日本の庭を作るぜ!!!

禅寺で仕事を通しての自己の捉え方

  • 2013.11.28 Thursday
  • 19:34
 さて、ここ最近寺院様での仕事が増えてきました。庭師としてありがたいことです。

その中でもやはり、”禅寺”での仕事が多い。禅宗と言っても大きく分けると3つに別れる。

臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の3つ。でも厳密に言うと臨済宗と黄檗宗は同じ系統なので(元々は臨在正宗と称していましたし)日本には曹洞宗と臨済宗が禅宗ということになる。黄檗宗は江戸時代の1654年に今の中国から伝わった比較的新しい宗門でもある。

思えば私自身も初めて坐禅や写経をしたのは6歳頃だった。昔から禅と触れ合う機会が多く、坐禅を全くしなかった1年は無かったと記憶している。

夏休みとなれば従兄弟たちと秩父の奥山にある禅寺に遊びに行き、少なくとも3日くらい宿泊し、禅僧と同じように”起きて半畳、寝て一畳”という柏布団で寝起きし、持鉢(じはつ)という僧侶の使う食器を使っての寝泊りだった。この器は臨済宗では持鉢といい、黄檗宗では自鉢、曹洞宗では応量器(おうりょうき)と禅宗の宗派によって呼び方も違います。この宗派による違いは他にも様々あります。坐禅時に叩く棒も曹洞宗では警策(きょうさく)臨済宗では同じ字で(けいさく)といいます。話が逸れましたね(汗)

その頃から朝5時半に起床し、庫裏や廊下などを雑巾掛けしそれが終われば書院に行き、方丈さん(住職さんの事を”ほうじょう”さんと呼んだりします)が袈裟を着て入室し、坐禅が始まる。

凛とした書院で朝の静寂の中、ただ静かに坐る・・・・私には普通の事だった。

なんの疑いも無く、ここに来ればテレビも無く、無駄な物が全く無くそれでも楽しかった。

まぁ、そのお寺でたまに見かけていたお爺ちゃん僧侶が京都大徳寺の前館長であられた福富雪底老子さんなどとは露ほどにも思いませんでしたが(大汗)その事実を知ったのは僅か10年前でした。いやー、子供って怖い(笑)

抹茶を飲む時に特に「お前ら絶対に落とすんじゃない!」と言われていたのも頷ける・・・。

だって、公表されていない千家の茶碗や小堀遠州の茶碗なんだもの!

そんな茶碗を手に従兄弟たちと「かんぱーい!!」って、カチャンっと茶碗を当てあっていたなどと・・・・・・子供は世界の宝物!!・・・・・いいよねっ?

今現在なら、決して出来ない愚行ですなぁ!!あはははは。

おっと話がずれてしまいましたね。

そんな身近な存在だった禅宗が、十数年の時を経て自らの職業と深く関わってくるとは・・・正に仏縁ということでしょうか。

ここ数日間、今年から出入をさせて頂くことになった曹洞宗の禅寺:廣渡寺さんでの手入れ。

曹洞宗での坐禅も5年前から継続的に続けている自分。

禅を学べば学ぶほどに、迷いの底に落ちる・・・でも、最近は心地良い感じで迷いの中に身を置ける様になった。

今回の3日間は本当にハードな仕事だった。恐ろしく早く起床し、日の出と共に作業を開始、何も考えれないほどに無我夢中にマツの手入れをしていた。

そんな作業をしていて2日目にふと何かを感じた。

自分はマツの手入れをしていた、そう手入れをしているのは私で手入れをされているのはマツだった・・・・・。でも、ある時からマツが私を手入れしてくれている感覚を覚える。

私を無我夢中にさせてくれて、声なき樹木の声に耳を傾け、私とマツが”以心伝心”する。

私はマツになり、マツは私になる。私もマツも共に生きていて、”あるがままにそこに存在”し何者でもなく、ただ存在しあえる。それだけ・・・でもお互いがお互いを心地良く迎えている。マツが厳しく接してくる時もあれば、私がマツに厳しく接するときもある・・・でも時は流れる・・・・あるがままに、そのままに。

私の様な凡夫(僧侶ではない普通の者)では禅の何たるかは到底理解できないのだが、学び継続し、意識して日々を過ごしていると、いままで気にもならなかったことや現象に”気づき”を体感することが増えた。

そして、自己を見つめることが増える。すると今まで当たり前だった全ての事が、とても大切で貴重であることに気づかされる。

そう、私は仏教徒ではない。でも禅を通じて学んだことは多い・・。

禅寺に出入をする以上はある程度の基礎知識は必要だと思う。禅宗に限らず私は自分が出入する場所ではそれを率先する。

なぜか?至極簡単なこと。知らないよりも知っていたほうが良いから。それだけです。

真言宗寺院に出入するときには真言宗を学び、天台宗でお庭の設計があれば天台宗を学び、神社の仕事では日本書記や古事記を読み、神道を学ぶ。そしてそれが神明系なのか出雲系なのかそうでないのか、土着神を祭る場所なのかなど、出来るだけ”知る”ことを大切にしてきた。

今回お伺いした廣渡寺さんでは、いつもの手入れとは違った心境で”自己と向き合えた”

そして、ほんの僅かではあるけれど”捉われの無い心”の断片を体感できた。

庭師として、人として、日本人としてまた少し貴重な経験をさせていただけた。

一重に感謝です。


自分自身の立ち姿を見、人の道を歩むということ

  • 2013.08.27 Tuesday
  • 19:35
 さて、昨日お寺さんの管理人さんと話していたことより抜粋してお話したいと思う。

管理人さんとの話の中で知人の仲で最近「誰にも迷惑をかけてないで、私は私の好きな人生を歩んでいます!!」と言い切る人が増えているということでした。

そう、私自身も少なからず耳にすることがあった。

俺は、常に思うのです。人に迷惑をかけないで生きてきたかい?今現在もそうだと言いきれるのかい?今まではどうでしたか?そしてあなたに迷惑を掛ける人も居ませんか?

もしも上記の中で全てにおいてYESと答えることが出来る人なら、それはとても悲しいことで、自分自身さえも見れていない人といわざる得ないです。

俺達は皆、母のお腹で生命を誕生させて貰い、お母さんを妊婦さんとして、色々な場面で様々な迷惑をお腹の中で居てさえも掛けてきました。勿論母親は無償の愛で接します。しかし全ての人が妊婦さんや生まれたばかりの幼い私達に無償の愛で接してくれていなかったはず。

お母さんのおっぱいが無ければ、母の愛が無ければ、オムツの交換が無ければ、俺達は多くの場合、今現在この様に生きてこれていない。

私達が赤ん坊のころなど、夜鳴きでお父さんや兄弟、母親、お隣さん、電車の中、食事中泣きじゃくって迷惑を掛けまくったはず。でもそれは多くの方の慈しむ心で見守られてきた。

小学校・中学校・高校・大学・社会人・・・・全てにおいて誰かに迷惑を掛け、そしてこれからも迷惑を掛け続けるのです。それが人間ですものね。

何を当たり前の事言っているんだと思うかもしれない、でもハッとしないかな?

いままでこんなにも迷惑をかけ続けながらも周りに見守られてきて、大人へとなり、経済的に最低限は自立したら、「私は誰にも迷惑をかけてない、私は私の稼いだお金で自分の責任で自分の好きに人生を歩んでいることがなぜ悪い?」ってね。

人はすべからく、社会で生きている以上、いや、人として生きている以上は他人と関わって生きている、そして生かされている。

モノが裕福になり、文明が進むほど、経済が安定するほどにこの「自分は迷惑かけていない・自分の力で生きている」と思ってしまう傾向は強くなるように思う。

でもね、きっと私が思うに、先に述べたように人は誰かに迷惑をかけ、掛けられ、他人が居るからこそ、自分が存在することが出来るのだと思う。

少なくとも俺はそう思っている。俺はこれからもきっと未熟だし、今までもたくさん迷惑をかけてきたと思う。俺が迷惑じゃないだろうと思っていても、それは近しい人や友人・家族からの心配であったり、優しさであったり、気遣いだったりと、自分では判らないところできっと私を見守っていてくれて、迷惑をかけていない様にしていてくれていた面もあったんじゃないかなって。

自分が稼いだお金にしても、唯一無二に自分自身で稼いだのではなく、あくまでも”他者”が存在するから、その中で仕事だったり、開発による対価だったり、労働力だったり、サービスだったり、アイデアだったりして、”報酬”を貰っている。そして、それをまた人間は”他人”に支払うことで何かを得ている。

お金は本来、価値が釣り合う、もしくはお互いにとっての有意義な物々交換だったのだから。

私が言いたいこと、それは・・・決して自分は「誰にも迷惑をかけていない!」と言い切らないで欲しいということ。

無人島や世界でたった一人で生きているのならそれは正にそのままにですが、それは同時に寂しさの極地でもあり、人との関わりを捨てることになるのかもしれません。これは極論ですが。

私達は当たり前に今生きていることは、誰かに迷惑をかけながらも、”お互い様”で生きているということです。

特に俺達日本人はこの精神を大切にしてきたと思う・・・・。

確かに欧米の”個”としての主張は時に現代社会では良い面もあるのだと思う。でも、そんな欧米人は”個々の個”を尊重している。他者を認め、考えの違いを一度は認めます。全てに於いてではないにしてもですよ(笑)

でもそれは裏返すと個人の事に余り突っ込み過ぎないというのかな、俺的にはドライ(笑)なんだけれどね。

それもありだと思うけれど、俺達は日本人だし、日本人が日本人であり続けることはマイナスではないはず。

今は諸外国でのスタンダードはこうだから私達も”こうあるべき”とか、私の言うことは時代遅れとか言われるかもしれないけれど、個々の自由は誰か認めてくれ、見守ってくれる人が居てくれるからこそ成立していると思うということ。

それを履き違えて、自分は誰の助けも借りていない!自分が稼いだ金をどうするのも自由だ!!っと他者にたいして言ってしまうのはどうかなぁ?って思う話なんだ。

生まれる前から迷惑を掛け、そして死ぬまで迷惑を掛けれる人生。人と関わり、人を好きになり恋をして愛して、自分の信念を持ったり、挫けたり、泣いたり叫んだり、落ち込んだり、笑ったり。全ては他人が存在してくれているからですよね。

当たり前の毎日で日常なんだけれど、その日常の中が、平凡な日常が如何に大切で人に関わってきているかを忘れてしまっては、人間として生きている意味が無いのじゃないかな?

勿論、紛争地帯や経済が安定しない場所ではこんな事を悠長に言っている状況では無いのかもしれません。しかし、我々日本人は今、そんな状況下でもない人が大部分であり、そんな危機的状況で無い人に限って、今夜の様な「私は誰にも迷惑かけていない」発言をする。

両親が亡くなるときには、「迷惑を沢山かけることが出来て俺は何て幸せだったのだろう。ありがとうね。」っと言って送り出したい。

そして俺は本当にこんな偉そうなことは言えない立場です。それを認めています。

ですが、俺はこの何気ない毎日の中の当たり前の様に起こる、人との関わりがとても大切な事なのを決して忘れないようにしている。

自分は庭師を志してこの道を選んだけれど、そんな職人を離れたときでも、人としての、日本人としての矜持を整えようと考えています。

それをきちっと全うしているかと言えば、ダメダメな人間の一人です。

でもね、自分は人との関わりを大切にしている。

いや、したいと望んでいると言った方が正解かもしれない。

たくさん迷惑をかけて生きてきたし、たくさんきづつけた人も居たかもしれない。

そしてたくさん裏切られてしまったかもしれない、そして知らずに裏切ったかもしれない。

あるいは、はたまた信じたかったし、信じさせたかったことも多くある。

でも俺はこのブログで以前何度か書いたけれど、ゆるぎない信念を持って生きている!!

それは「俺は自分勝手に生きてはいなく、皆の支えがあり慈愛があり、優しさがあり、それが私の人生を彩り生かされていると」

そして庭師としての生き方では

「我(わ)が心の中の日本人としての庭師の和(わ)は様々な出逢いによって輪(わ)となり、それは大きな環(わ)となり、吾(わ)だけでなく全ての出逢いと関わった皆様それぞれが羽(わ)を生やし次なる世代へ話(わ)となり紡がれ、倭(わ)の人々へ届いて欲しい」

それが私の生き方。青臭いと言われるかもしれない。きっとその通りかもしれない。

でも俺は俺の目指す青臭い人生を歩む。

俺が最後の日を迎えたときに俺はその時の愛弟子や愛しい人に「沢山迷惑をかけなさい。それが人生を豊かにすることもある」と言葉を添えたい。


庭師を目指すにはどう生きるか・・。

  • 2013.07.05 Friday
  • 11:46
 今日は朝から激しい雨の為、霊園の管理を中止にしました。連日ハードな毎日ですが日に日に霊園が美しくなってくるので嬉しいですね。

さて、今日は久しぶりにのんびりと起きまして、いつものごとく、このブログのアクセス数や検索キーワードを眺めておりました。

最近は無理に毎日更新することはやめ、自分が気が向いたときに更新するようにしています。楽しみにされている方はごめんなさい。

その中でも年間を通して毎日検索されているキーワードが「庭師になるには」です。

このブログなどで何度もこの「庭師になるには?」について語りましたが、本日は改めてこの、「庭師になるには」について過去に書き綴った内容を基に綴っていこうと思います。

これから庭師を目指される方に、そうでない方はどうか温かい目で私なりの「庭師になるには?」を少し書き綴ってみようかと思います。

さて、私は普段から自分の職業を「庭師」と言っておりますが、あくまでも自称です。建設業の正式な種別で言えば造園業に分類されます。でも私は自分のことを造園業者・植木屋さんとは言いません。

チョットした私の拘りと言うか、自己満足というか・・・・・。庭師と造園業と植木屋さん呼び名は違えど全て一緒です。

なので、造園業に携わっている人ならば名刺や他の人に挨拶する時や紹介してもらうときに「庭師をしています」と言えば誰にでもなれます。

でも「そういうのじゃなくてっ!!本当の庭師になりたいのっ!!」て言う人!

私が思うに大きな違いは、自分の職人としての「心」にあるのだと思っている。

例えば下記の様な事。

人に対する「心遣いや礼儀」。

自然に対する「畏怖・尊敬の心」。

日本の文化をどれだけ感じ取ろうとする心。

今の自分に飽く事のない探究心。

湧き起る好奇心。


それら全てを1つの作品に昇華させる技術と知識。

こういった庭職の方々を庭師って言うんだろうと思っている。

また、この道を真剣に目指して歩んでいる人たちも皆、庭師だと思う。

じゃあ、そんな庭師になるにはどうしたらいいか・・・。

一般的に庭師をうたっている造園業者さんは、他の業者さんや、同業者さんからも「あそこは庭師さんの会社だよ」などと聞くことが多い。そして、厳しかったりする。まぁ、その他の特徴として「日本の文化でもある日本庭園」を造っていたりします。

では実際に庭師を目指すには何から始めるのか?

まず学生さんでも他の造園会社さんに勤められている方でも、庭師になろうと思ったらまず、あらゆる面でアクションを起こす!!

会社選びをする前に、庭師って何だろう?庭って何だろう?とかって全てに疑問を持って、直ぐにそれを好奇心に変換して自分の足で調べる!!インターネットはきっかけ位にして、後はひたすらに自分の足で歩き触れ、学ぶ。

例えば雑誌やネットで見た庭が気に入った!と思ったら直ぐに好奇心をだして、誰が造ったんだろう?何処にあるんだろう?なんでこの庭を気に入ったんだろう?って思うはずだし、きっと調べたくなる!

そしてその場所を尋ねれたら訊ねるし、作者が分かればその人の他の作品も知りたくなるし、お会いしたくなる。もしもお会いできる機会が出来たら、礼節をもってキチンと挨拶できなければいけない。

その気に入った会社に入りたくてもこの庭師の世界は非常に門が狭い・・・・なぜなら、公共工事を主体にしていない会社が殆どだし、少数精鋭が多い、有名な庭師の方にもなれば毎年50人もの応募が来て、採用は1人がせいぜいだったりする。

それは何故か?、修行に来た人には全力で親方も向き合うので中途半端な気持ちで親方も雇わないからです。

庭師になるにはある程度修行という厳しい期間が必要になります。造園会社の従業員とはちょっと違う雰囲気です。就職ではなく修行になるわけですね。

その修行の期間(大体3〜5年)はもう、死に物狂いで自分の生き方や礼儀、庭にと全力で向き合うわけです。

だからネットや雑誌で一目見たから、電話して「今って、人雇ってますか?」の行動では絶対に庭師にはなれない。勿論今のウチのように募集をかけている場合は違いますが。

だって自分が行きたいところに初めから運よく入れるなんてことは、そうそう無いことです。

駄目もとで、アポを取って許可が出ればキチンとした身なりで伺い、お話だけでも聞けたら凄くうれしくないですか?

自分の気に入った親方さんだったり、お庭を造った人とお会いして話せる。是だけでもとても有意義だし、無駄にはならない!!本気で人に向き合えば、庭師の親方ならそんな人の本気を見抜くと思います!

自分はどう生きて生きたいのか?何をしたいのか?何を目指すのか

庭師を目指す前に、真剣に、本当に生まれて初めて心の底から自分は何故に庭師を目指し、庭師になりたいのかを突き詰めて考えていなければ、決して庭師の会社には入れないと思います。

それは何故か・・・・? 庭師になってからのほうが覚えることは一杯だし、成長すればしただけ、ドンドンどんどん庭の世界は末広がりになっていくし、庭以外の色々な分野にもアンテナを張り勉強・経験する事もかなり重要になります。

そんな修行時代に自分を見失ったり、妥協したり、考えなくなってしまうと、あっという間にこの世界が遠くに行ってしまいます。本物の職人になれるのは自分を信じて、砂を噛む思いをしながらも手に職をつけた者しかなれないのだから。誰もが安易になれる職業ではないのです。よく定年退職後は庭師にでもなろうかな?という人や、シルバー人材の人達がにわか覚えで成れる職業では決してないのです。

その代わり、どんな苦しい事でも腐ることなく、謙虚に生き、いつまでも好奇心・向上心・追求心・探究心を持っていると、この庭師の世界って厳しいけどサイコー!!!幸せ!!ってなると思います。

まあここまで読んでくると、何だか庭師って厳しくて小難しくて、暑苦しくて・・なぁーんて思ってしまうかもしれませんが(笑)

実は全然そんなことないのです!

庭師になる為に本当に必要なことはすっごくシンプル!!

1つ、自然や植物が好き。

1つ、人や動植物、命あるものに感謝する心。

1つ、モノ造りや観察が好き。

1つ、人を認めることが出来る人。

最後に一番大切なこと

1つ、絶対庭師さんになりたいって思う心。


庭師になるにはどうすればいいか・・・・・・私もまだまだ未熟な庭師。

今も上記の様に生きています!「絶対庭師で在り続けるぞ!!」って・・・・。

自分も厳しい修行時代もあったけど、今は親方になり代表取締役に今月無事に就任した、そしてこの世界の難しさや奥深さを心から愉しんでいる!!

これから庭師になりたいと思う人へ、一言・・。

苦しいのは一時!身に付けた技術や心は一生涯だよ!!

紡いでいきましょう、庭師の世界を・・・。

今日は以上の様な「庭師になるには」というテーマで綴ってみました。

そう、記事にも書きましたが、弊社は今、庭師見習いを募集しています。

造園経験者のみ募集です。採用人数は1名です。

興味ある、ここらで”庭師”を目指したい!!!という熱い青年を待っています。

by 霧島宏海

日曜にしていたこと。

  • 2013.06.18 Tuesday
  • 23:25
 さて、ブログの更新も滞ってしまっていましたが、少し更新いたします。

先日の日曜日は友人と都内の畠山記念館に出かけました。

hata_24.jpg

ここは毎年数回弊社が出入りをしてお茶室の雨どいを変えたり、筧の竹を交換したり、部分的に竹垣を直したりしている美術館です。

2年前には一番奥の待合に光悦寺垣を作りました。

hata_26.jpg

この梅雨時のお庭もいいものですね!!

hata_27.jpg

交換した筧もちゃんと写真に収めてきました。

hata_25.jpg

ここの水鉢は良いものも多く、気に入っています。

とても素晴らしい休日になりました。

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