さて、アカマツの手入れ後には3年前に作庭した場所も美しく。
鳳勝寺山内にある髄流居という扁額がある門前の空間。弊社が3年前に「屋根付き黒長穂垣」・「大徳寺垣」そして、作庭一式を施工した場所です。
この場所のモミジを柔らかく剪定。
モミジはモミジらしく!風が吹けばそよぐ様に!!大切なことです。ちまちま手を入れるのではなく、必要とする枝を残し思い切り良く枝を外し、成長をコントロール!!若いモミジだから成長も早いし暴れる。でもそれを見越してしっかりと管理する。新入社員の後田にも勘どころを教える。
周二郎は別の場所でツバキの「野透かし剪定」をしていた。
うん・・・合格かな。野透かし剪定技術だけは経験がものを云う技術。教えてもなかなか感覚を掴むのが大変。センスの無い奴にはいくら理屈を教えても出来ない。周二郎には最近この野透かしの感覚が伝わった!!師匠としても嬉しいことだ。
庭師にはそんな技術が数多くある。そんな中で
庭師の技術の心と技の伝授には、禅の教えに通じることが多々ある!!
私も禅の勉強を5年前から続けている。そのおかげで色々と自己にに向き合うことも多くなり庭師としての生き方にも活かされている。
そんな禅の四聖句に「教外別伝」・「不立文字」・「直指人心」・「見性成仏」ということが根本に在るけれど、見性成仏以外はそのまま庭師としての行き方に転用できます。
私は仏教徒ではないし、どちらかといえば無神論者に近い。でも、禅は己との向き合いの修業の宗旨だから、学ぶことも多い。庭師と禅僧は切っても切れない縁でもありますし。
このブログで何度も紹介していますが、私が日頃から肝に銘じている禅僧の言葉。
京都臨済宗大本山:大徳寺開山の大燈国師(宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう、弘安5年(1282年) - 延元2年/建武4年12月22日(1338年1月13日))の遺誡の中の一節でこのようにいっている
「只須らく十二時中無理會の處に向つて、究め来り究め去るべし、光陰箭の如し、謹んで雑用心すること莫れ、看取せよ看取せよ。」
まさにこの通りだと思う。人生というものは光陰矢のごとしだし、物事を極めに来、そしてそれを極めた後には、それに捉われることなく、新たな無理会に向かって出発する。その為には自分の目指す道から目をそらす暇など無く、妄雑心に囚われていてはいけないのだという教え・・・・。
明日も毎日を精一杯生き、「今この瞬間」を大事に過ごして行こうと思う!!
そんな毎日送っていれば何時だって俺は人に問われればこう言う、「日々是好日」ってね!!